私たちの教会

麻布グレイスゴスペル教会の歩み

神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。 テモテへの手紙第二 1:9

1995年5月、港区元麻布の丘の上、とある外国人の邸宅跡にゴシック風の礼拝堂を持つ一棟の建物が完成しました。建物は麻布セント・メアリー教会と名付けられ、そこで多くの結婚式が行われることになりました。

やがて、結婚式場の経営陣の中から「神様の名で仕事をしているのだから、せめて、この建物を使って神様のためになることをしたい」という願いを持つ人々が現れました。さっそく彼らはこの結婚式場で神様のために働いてくれる人材を捜し始めました。そんなとき人伝てで出会ったのが、めぐみ福音キリスト教会で牧師をしていたこの私、三宅忠雄だったのです。

「こんなに奇麗な会堂で伝道ができたら、神様のご愛をひとりでも多くの方にお伝えしたい。」牧師魂と言うのでしょうか、二度三度と責任者の方々とお会いしているうちに、私の心は燃えてきました。きっと神様は道を開いてくださる、そう信じて祈り続けました。

めぐみ教会の主任牧師として御用を続けながら、担任牧師として私がメアリー教会に遣わされたのは、1998年の2月のことです。と言ってもメアリー教会は牧師ひとり、クリスチャンひとり、協力者数名の、その立派な会堂と比べるといかにもこじんまりとした教会でした。それでも神様は、ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる。(マタイの福音書18:20)とはっきりお約束してくださったお方です。勇気を出して神様の御用に励むことにしました。

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あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。 ヨハネの福音書 16:33

結婚式は大盛況でした。ある年には600組を超えるカップルの祝福に立ち会わせていただきました。クリスマスの礼拝には未信者の方々が大勢詰めかけ、初めは1回きりの礼拝が、2回、3回、4回と年を追う毎に増えて行きました。巷でも評判になり、あるときインターネットの生中継が入ることになったのですが、そのときは2万人以上の人がパソコン上の礼拝を訪れてくださったそうです。その報告を聞いて驚くとともに、主への感謝で胸がいっぱいになったことを今でも思い出します。

日曜礼拝や祈り会、聖書の学びなども、出席者多数とはお世辞にも言えませんでしたが、地道に続けておりました。また、イースターやペンテコステの記念祭、チャリティ・コンサートなどのイベント、結婚講座、そしてもちろん結婚式でも、あらゆる機会をとおしてキリストの福音を伝えるため一生懸命御用を務めさせていただきました。日々主の恵みを経験し、主の御名を崇めさせていただく、まさに幸福そのものの牧師生活だったと言えましょう。

やがて待ちに待ったメアリー教会としての初めての洗礼式の日がやって来ました。冬の奥多摩で腰まで川の冷水に浸かりながら感動に震えた経験は、生涯忘れることができないでしょう。

しかし、世の中とは非情なものです。せっかく与えられた教会の信徒たちも、しばらくすると業務の拡張を理由に地方転勤を余儀無くされ、ひとりまたひとりと去って行ってしまいました。

実は私は、かつて東京のある病院のチャペルで御用を仰せつかったことがあります。始めは病院経営者も伝道に燃えておりましたが、やはり事業が忙しくなるとなかなか教会のことにまで手が回らなくなります。いつしか礼拝堂はがらんとなって魂が抜けたようになってしまいました。

牧師の最大の使命は主の羊を養い育て、教育して神の国へ無事にお返しすることです。羊がいなくなれば牧師ひとりでは何をすることもできません。もともと商家に生まれ育った私も、15歳で信仰に入ってからは、なんとか事業を伝道に活かせないものかと考えていました。しかし、それが口で言うほど簡単なことではないことも身を以て体験しました。私はメアリー教会でもまた病院のときと同じような現実に直面したのです。ちょうどその頃、私自身病気を患ったこともあり、メアリー教会からしばらく退いて、祈りながら次の時を主が示してくださるのを待つことにしました。それはまた、いずれは避けられないめぐみ教会の次世代への承継問題を考える良いチャンスでもありました。

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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 ローマ人への手紙 8:28

ところが、主は私が牧師を止めては生きて行けない男であることを良くご存知でした。メアリー教会を退こうと考え出したとたん、主の導きで私の息子がめぐみ教会の後継となることが決まり、と同時に私には六本木での新たな御用が待っていたのです。主のご計画とはなんと遠大かつ綿密なものでありましょう。承継問題を思い煩っていた私を恵み教会の御用から解放し、さらなる開拓伝道に用いてくださろうというのですから。しかもそれがまたメアリー教会での御用の再開に繋がろうとは。

幸いにもメアリー教会は使命を持った宣教師がその灯を絶やさずにいてくれました。その宣教師が次なる赴任先へと旅立ち、その後を再び引き継いできた私が今思うのは、やはり伝道は神様のなさる業だということです。主なる神様の事業ですから、私たちはただ主がいつ働かれても良いように、日夜正しい聖書的信仰を守り、祈りを積み重ね、主のその時のお邪魔にならないようにしなければなりません。

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涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 詩篇 126:5

私も70歳を過ぎました。今日まで神にも人にも愛されてきた人生を深く感謝するととともに、あらためて主の御用を続けられる喜びを噛み締めております。二人の息子は牧師になり、娘もひとりは牧師に嫁ぎ、もうひとりは信徒と結婚し忠実な教会員として仕えています。いちおう親としての責任も果たし、最後のご奉仕と思っていたセント・メアリーもグレイスゴスペル教会に変わり、今は以前にもまして一日一日を大切に、神様と人にご奉仕をさせていただきたいと強く願っております。雑念を捨てて神のお約束を信じ、「神に愛され、人に愛される教会」「神に仕え、人に仕える教会」をめざして、ただひたすら福音の種を蒔き続けて行くつもりです。やがてその種から芽が出て実がなり収穫のときがやって来るでしょう。次の後継者もきっとアドナイ・イルエ「主の山の上には備えがある」(創世記22:14)と呼ばれる神様がお選びになって送ってくださると信じています。その日には、きっとすべての人が主の御名を誉め讃えるに違いありません。

牧師 三宅忠雄     




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